2023年2月にテレビ朝日系トーク番組「徹子の部屋」に出演したミッツマングローブさん。
ご両親との思い出や感謝を述べていましたね。良い家族であったことがわかります。
そんなミッツマングローブさんについて
- ミッツマングローブの(生い立ち)wiki学歴・経歴プロフィールについて!
を確認したいと思います。
ミッツマングローブの(生い立ち)学歴について
ミッツマングローブさん、ふと名前の由来ってなんだろ?と思ってしまいましたが、
本名である”徳光”の(ミツ)を使い、(マングローブ)は大げさで洋風な名前をつけようと響きと字面でつけたそうです
「実は私、当時マングローブが何かすらも知らないまま、『サウンドが良い』という理由だけで、自分の女装名にしてしまった過去があります」
アメブロ
ということなので、今となっては違和感はありませんが、目立ちたいという思いだったのでしょうね。
ミッツマングローブさんですが、
本人は5歳ぐらいの時に同性愛者だと気づいていたそうです。ただ一方で鉄道が好きな少年でもあったようです。
小机と鴨井の間、ストレートライン 鉄オタの聖地 スゴイきれいな写真が撮れる
YouTubeチャンネル(女性産業ビューロー)
と話していました。
小学生:横浜市立鴨井小学校
自宅でおままごとなどをすることが好きだったそうですが、外で野球するのも好きだったそうです。性格も明るく周囲の人気ものだったのでしょう。
小学生低学年ごろの写真でしょうか。母親に甘えていますね~。既にこの頃には同性愛者であると自覚していたということですね。
また勉強の成績は良かったそうですが
だったそうで、学習する方法が他の人とは違う方法で吸収する能力は高かったようです。
小学校5年生の時に、父親の転勤でロンドンの日本人学校に転入します。
中学校:ロンドン日本人学校
小学生からずっと勉強で負けたことがあまりなかったそうですが、語学で他の子に歯が立たない経験をしたそうです。
それで「もっとしゃべれるようになってやる」みたいに思ったのかもしれない。
ミッツ・マングローブさん(女装家)より
この経験などを通じて、中学生の時ロンドンでの生活で英語を覚えることになったことは間違いなさそうですね。
またイギリスではラジオのFMをよく聴き、行き帰りのスクールバスでも流れていたので、アイドルとか流行ってる音楽にも詳しくなり、音楽的な趣味も広がっていったのが中学生の頃だったそうです。
バンドを始めたのも中学生の時からとのことです。
それが自分の音楽の方向性とか好みの大きな部分を占めてると思います。
https://www.britishcouncil.jp/about/campaigns/60th-anniversary/story/mitz-mangrove
因みに中森明菜さんとV6は大のファンということです。
また、中学生の時には生徒会長もしていたそうなので、周囲を引っ張っていく存在だったのでしょう。
高校:慶応義塾高校
受験は慶応義塾高校、ニューヨーク慶應学院、慶應義塾志木高校の3校を受験し、志木高校は落ちたようですが、見事慶應義塾高校には合格しています。ロンドンからの帰国子女ということなので英語は完璧だったのでしょうね。
高校の時は、バンドに明け暮れたそうです。
母に「早く目を覚まして、卒業したら普通の社会人になってちょうだい」
https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/kazokunokoto/2014/
と反対されていたそうです。
大学:慶応義塾大学
ミッツマングローブさんは、内部進学で慶應義塾大学(法学部政治学科)に進学します。偏差値は76なので内部進学とは言え、相当優秀だったのでしょう。
そして、大学に入ってからも音楽活動を継続していました。大学卒業後も音楽関係の仕事に就こうと思っていたころです。
当時は同性愛者とは堂々と言える環境ではなかったそうですが、新宿二丁目に出入りし、ステージで歌っていたころでもあります。
ゲイというよりはカッコイイお兄さんですよね。
ちなみに弟さんには、この時ゲイであることをカミングアウトしたそうですが、大爆笑されたそうです。
ミッツさんはどんな気持ちだったのでしょうか。
そして大学卒業時
将来は音楽を仕事にしようとも思っていました。でも、まだダメだろうという漠然とした気持ちもあって。
それで、就職までの時間稼ぎのためと、イギリスに戻りたいという思いから、卒業後にウエストミンスター大学に留学した
https://www.britishcouncil.jp/about/campaigns/60th-anniversary/story/mitz-mangrove
どうしてももう一度、イギリス(ロンドン)に住みたかったそうです。居心地が良い場所=ロンドン=地元みたいな感覚みたいですね。
ウエストミンスター大学は、音楽のノウハウや技術を教える学校ではないんですよ。歌や演奏については「できる」というのが前提なんです。
なので入学してからは、自分の得意なパフォーマンスや知識・技術を活かして学んでいく感じでしたね
https://www.britishcouncil.jp/about/campaigns/60th-anniversary/story/mitz-mangrove
授業では
- ステージパフォーマンス
- 自身の曲をビッグバンド用へのアレンジ
- グループ組んでレコーディングしてミックスダウン、そして一枚のCDに仕上げる
- 著作権、ロイヤリティ(法律系)
- ビジネスやマネジメント
- マーケティング
ということも学ぶことができ、踊ったり、パフォーマンスをしたりの下地をロジカルに整理する機会を与えてくれたのがウエストミンスター大学だったそうです。
ミッツマングローブの経歴について
2021年に父親を亡くしていますが、若かりし頃、
丸の内の新丸ビルのスナックでママをしていた時期があるんですが、それも父の紹介がきっかけ。
オカマの道を選んだ息子に力を貸したんです。業界の人に紹介してもらい、そうした縁が今につながっています。
https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/kazokunokoto/2014/
ロンドンから帰国後、新丸の内ビルディングにある女性限定バー「来夢来人」(らいむらいと)のママとして勤務していました。父親からの紹介だったんですね。
息子がオカマとして生きていくことを認め、サポートしてくれたということになります。嬉しかったでしょうね。
2人はデビュー以前からショーで全国をまわっていた仲。いまでこそ大量の冠番組を抱える人気タレントのマツコさんですが、デビューのきっかけを作った人こそ親友のミッツさんでした。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1806/20/news117.html
ミッツさんはマツコさんのデビューのきっかけをつくった方でもあったんですね。全国を行脚していた戦友ということでしょう。おふたりとも今でこそ売れっ子ですが、下積み時代はご苦労されたのでしょうね。
その後、女装家というジャンルを確立し、テレビ・ラジオ等のメディア出演、そして学生時代からのやっていた音楽活動を踏まえCDデビューを果たすなど大活躍なのは皆さんもご存じの通りです。
まとめ
2023年現在、ようやくLGBTQが国の中でも動き出しをみせ、同性愛者の方々も少しづつですが生活環境が変わってきていると思います。
ミッツさんの若い頃の時代はそうではなかったので本当に大変な思いをしながら生きていたことが容易に想像できますね。
誰しもが生きやすい社会の一助を担ってくれていたと感じているので、これからも活躍し続けてほしいですね。
今回も最後までお付き合い頂きまして有難うございました。