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小田貴月の若い頃と経歴について!高倉健との馴れ初めは何で養女となった理由は?

小田貴月

2023年6月に徹子の部屋に故:高倉健さんのパートナーとして出演した小田貴月さん。

2014年にお亡くなりなってから9年が経過しますが、色褪せることない高倉健さんの印象は、貴月さんが守り続けているものなのでしょう。

そんな小田貴月さんについて

  1. 小田貴月の若い頃と経歴について!
  2. 高倉健さんとの馴れ初めは何で養女となった理由は?

を確認していきたいと思います。

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目次

小田貴月の若い頃と経歴について!

小田貴月さん
出典:NHK
プロフィール
  • 名前:小田貴月(おだたか
  • デビュー時芸名:貴倉良子
  • 出生名:河野貴
  • 生年月日:1964年1月13日
  • 年齢:59歳(2023年6月現在)
  • 身長:163㎝
  • 出身地:東京都板橋区
  • 学歴:千代田女学園高校
  • 特技:新体操
  • 職歴:女優、タレント、テレビディレクター、ホテルジャーナリスト、ライター、声載

小田貴月(おだたか)さんは高倉健さんと出会う前には女優をしている時期があり、「貴倉良子」という芸能名で活躍をしていました。

高校在学中にスカウトされ、19歳でデビューを果たします。

貴倉良子さん
出典:Twitter

こちらは1985年(21歳)の時に丸善石油(現:コスモ石油)のイメージガールを務めていた時のものです。健康的な美しさですよね!

こちらは2年後の23歳の時に雑誌:週刊現代に掲載された時のものです。

貴倉良子さん

こちらの画像は、時代劇に出演した時のものです。年齢は確認できませんでしたが、20代前半頃かと思います。

貴倉良子さんは、1988年以降芸能の活動が見当たらない為、24歳当時ぐらいまでのタレント活動であったと思われます。

2度の結婚と離婚

最初の結婚は26歳の頃でハーフ(日本とフランス)の方で世界保健機関(WHO)の事務方トップの方だと言います。

貴月さんの収入をあてにするタイプで愛想をつかし、約1か月で離婚したそうです。

また2度目の結婚は、NHKプロデューサーとのバツイチ同士の結婚だったようですが、経済的な理由で1年くらいで離婚をされているそうです。

詳細等は不明ですが、2度の離婚歴があったことは間違いないそうです。

高倉健との出会い

2人の出会いは1996年3月で、当時フリーライターとして活動していた小田さんが、女性誌の取材で香港のホテルを訪れた際、高倉健さんと遭遇したそうです。

仕事終わりにレストランを利用した際、高倉健さんを見かけましたが、著名な方なので、担当者のご配慮で、隅の目立たない場所に席を得て食事をしていたそうです。

そこになんと高倉健さんが現れます。

「お気遣いいただき、ありがとうございました」と会釈をされたそうです。

帰国後、小田さんは心遣いへのお礼状とともに、その時のホテル取材の掲載誌を送りました。高倉さんからは、本人の著書やインタビューの掲載誌が送られてきて、それから手紙のやりとりが始まったとのこと。

こうして、小田貴月さんと高倉健さんは次第に、距離を縮めていったのでしょう。

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高倉健さんとの馴れ初めは何で養女となった理由は?

馴れ初めは

2ヵ月に一度くらいのやりとりが1年ほど続いたあと、私はテレビの取材で3週間、イランに行くことになりました。

高倉は映画『ゴルゴ13』の撮影でイランに行ったことがあり、女性に制約の多いイスラム圏での取材が心配だったのでしょう。

宿泊先のホテルに、私の身を案じる電話やFAXをくれるようになりました

(中略)

電話での高倉は次第に自身のプライベートなことまで話してくれ、私は「どうしてそこまで?」と思いつつ、聞き役に徹していました。

https://fujinkoron.jp/articles/-/1454?page=2

最初のきっかけはイラン出張時の電話やFAXがスタートと言っても良いのでしょうね。

その後、2人で暮らすようになったそうですが、プロポーズ等の言葉はなく

高倉からの言葉はなかったです。なんでしょうか……高倉との関係は、周波数がピタリと合ったとでもいうのでしょうか。

何を言わんとしているのか、私のなかにスッと入ってきました

年齢も性差も超えた、魂のレベルで共鳴したのだと。いずれにしても言葉での説明は難しいです。

言葉ではなく、心と心の中で会話をしていたということなのでしょう。異次元のレベルでのプロポーズと言っても良いかも知れません。

養女になった理由

高倉と養子縁組をしたのは、12年に私(小田貴月)の母が倒れたことがきっかけです。

者本人の親族でない者は医師の説明を聞くこともできないと知った高倉は、母より年上だったこともあり、自分の今後を意識するようになったのでしょう。

「養女」としたのは、婚姻届を出し「高倉健が結婚」となると、大騒ぎになってしまう、それを恐れてのことでした。私自身は、「ああ、責任重大」と身が震えました。

https://fujinkoron.jp/articles/-/1454?page=4

養女となった小田貴月さんですが、高倉健さんは、親族に存在を知らせていなかった為、

亡くなった後、私の存在を知る数少ない人物である事務所の方が病室にいらして、「僕から伝えます」と。

高倉は親族にも私のことを知らせていませんでした。

https://fujinkoron.jp/articles/-/1454?page=4

本当に秘密裏に養女となっていたということですね。結婚しなくても養女になれば、何かあった時に親族として告知される権利もありますし、遺産も残せると考えるての結論だったのでしょう。

そして、2014年11月、最後を看取った際に最後に聞き取れたのが

『慌てるな、あ・わ・て…る……な……』

という言葉だったそうです。この言葉にはどのような意味が込められていたのでしょうか。

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まとめ

一度も一緒に外食はしたことがない、それどころか2人で出歩いたこともないという約20年間、本当に高倉健さんの為に生きていたと言えるでしょう。

このような素敵な伴侶がいて高倉健さんも幸せだったでしょうね。2023年現在、亡くなられて9年が経過しますが、まだ生きているような気がしてなりません。

そう思わせてくれるのは小田貴月さんの功績ではないかと感じます。

今回も最後までお付き合い頂きまして有難うございました。

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