1977年に安全地帯に合流し、ドラマーとして活躍した田中裕二さんが亡くなりました。
65歳の若さでの訃報に驚きを隠せません。今回は田中裕二さんについて
- 【顔画像】田中裕二(安全地帯)の結婚した嫁(妻)と娘の現在!
- 田中裕二(安全地帯)はドラマーとして苦労の連続だった?
を確認していきたいと思います。
【顔画像】田中裕二(安全地帯)の結婚した嫁(妻)と娘の現在!
「第 73 回 NHK 紅白歌合戦」(2022年12月31日) に37年ぶりに安全地帯の出場が決定し、楽しみにしている方も多いかと思います。
その決定発表と同じ日に安全地帯のドラマーである田中裕二さんがお亡くなった報告も公式サイトより発表がありました。
ファンの皆さま、関係者の皆さま
いつも安全地帯を応援していただき、誠にありがとうございます。
40年という長きにわたっての多大なるご支援に、こころより感謝申し上げます。
安全地帯 田中裕二につきましては、かねてより療養中でありましたところ、2022年12月17日の夜、
ご家族に見守られながら永い眠りにつきました。
通夜並びに葬儀につきましては、ご遺族の意向によりご親族のみにて12月22日に執り行われました。
事後のお知らせとなり誠に恐縮ではございますが、
ご弔問、お香典、ご供花などはご遠慮くださいますようお願い申し上げます。
尚、マスコミの皆さま方におかれましては、ご遺族 及び 安全地帯メンバーの心中をお察しいただき、
取材はお受けすることができませんことをご理解賜りますと幸いです。
ここに生前のご厚誼に深謝しますとともに、
これからも安全地帯を温かく見守っていただけますよう、お願い申し上げます。
株式会社グレートデン
https://saltmoderate.com/news/detail/20243
2019年に脳内出血で倒れ
「ご報告」のタイトルで「安全地帯メンバーのドラム田中裕二ですが、甲子園公演が決定した数カ月後、
脳内出血を発症し入院いたしました」と告知。「今回の甲子園球場ライブに参加すべく、病気療養、リハビリを
ギリギリまで頑張っておりましたが、残念ながら出演することができないとの判断を下しました」とした。
サンスポ(2019年11月)
2019年の甲子園球場でのライブに参加することができませんでした。
その後も2020年に自身がオーナーを務めていたカフェを閉店するなど、体調悪化が心配されていました。
今回”ご家族に見守られながら”深い眠りについた田中裕二さん、どのような家族構成だったのでしょうか。
田中裕二さんの妻やお子さんに関する情報は公表されている情報がないため、妻やお子さんの情報については確認することができませんでした。
非公式な情報にはなりますが、
- 1990年代に結婚(一般人)
- 1990年代に第一子の女の子が誕生(第二子以降は未確認)
- 長女はライブドキュメント「ILOVEYOUからはじめよう」にチラッと映ったことがある
との情報がありました。
*参照サイト:https://rock-note.com/tamakikoji/tanakayuzi-byouki-kodomo-dattai/
2019年からのコロナ禍を挟んだ長期間の病気に家族も一緒に闘っていたのでしょう。
田中裕二(安全地帯)はドラマーとして苦労の連続だった?
田中裕二さんをはじめとする安全地帯は、活動と活動休止を繰り返していました。
- 1977年(20歳):自身が参加していた洋楽コピーバンド「六土開正バンド」と「安全地帯」が合併し、新たな安全地帯のメンバーとなります(結成)
- 1978年(21歳):家業の自動車整備工場を継ぐため安全地帯を一時脱退
- 1982年(25歳):安全地帯1st.シングル『萠黄色のスナップ』でキティレコードからデビュー
ドラマーの大平市次の脱退に伴い再加入 - 1988年(31歳):安全地帯が活動休止を宣言
個々の音楽活動の進化の影響とバンドの追求する音楽の方向性模索の結果 - 1990年(33歳):安全地帯の活動再開(再始動)
- 1993年(36歳):安全地帯23rd.シングル『ひとりぼっちのエール』発売以降再度活動休止
- 2002年(45歳):安全地帯24th.シングル「出逢い」発売で、9年ぶりに活動再開
- 2004年(47歳):安全地帯の活動休止
- 2009年(52歳):急性膵炎で2年間療養していた玉置が音楽活動再開を決意し安全地帯のメンバーを招集
20歳から65歳の生涯を閉じるまでの間、4回の活動休止と4回の活動再開という状況から、不安定な収入であったことをテレビ番組で明かしていました。
2016年7月14日にテレビ東京で放送されたバラエティ番組『じっくり聞いタロウ〜スター近況(秘)報告〜』に単独で出演。
グループ内におけるギャランティの配分事情や1992年に開催されたデビュー10周年記念スペシャルライブでの裏話、さらには当時マスコミに追い掛けられていた玉置のダミーをした体験や
活動休止の多いグループの事情から安定した収入を得るためにカフェ経営を独学で始めたエピソードを披露した。
ウィキペディア
安定した収入を得るためにはじめたのがカフェ経営でした。
- 1994年:音楽活動以外に千葉県白井市にカフェ・レストラン『カフェ・ド・とおやま』オープン
- 2006年:「Y's cafe」に改名しリニューアルオープン
- 2020年:コロナ禍の影響と闘病生活も相まって閉店
カフェオーナーの時の田中裕二さんは、安全地帯で活動している時よりも穏やかな印象を受けました。26年間も経営できたことは
それだけ勉強してきた証でもあると言えますよね。
結成→活動休止→再加入・再活動を繰り返したことにより、不安定な収入の状況を改善するため、そして妻と子供を養うため、
田中裕二さんはカフェ経営をすべて独学でやってきたということなのでもの苦労も多かったのではないでしょうか。
まとめ
今回の訃報は驚きと同時に田中さんがドラム演奏する安全地帯をもうみることができないことを残念に思いました。
ご冥福をお祈り致します。最後までお付き合い頂きまして有難うございました。