2023年、15年ぶりに阪神タイガースの指揮(監督)をとることとなった岡田彰布さん。
プロ野球開幕後(2023年6月初旬現在)、白星を積み重ね快調にセントラルリーグ首位をひた走っています。
岡田監督と言えば、部下(コーチ、選手)から慕われていると言われている一方で、他チームからは策士として一目置かれる存在となっており、プロ野球界の大御所として、連日ニュースでも取り上げられています。
今回はそんな岡田監督について
- 岡田彰布の嫁(妻)が才女で息子は秀才?
- 岡田彰布は幼少期に南海ホークスのチームにいた?
を確認していきたいと思います。少しだけ、岡田監督のプライベートに迫ってみましょう。
岡田彰布の嫁(妻)が才女で息子は秀才?
岡田彰布さんは、1982年に旧姓:大関陽子さんと婚約を発表し、その後入籍をしました。
の時です。2023年の現代であればかなり早い結婚ということになりますが、当時では少し早いぐらいだったみたいですね。
この時、婚約発表会見が行われたのですが、大学卒業後プロ入団3年目の花形の選手ということで多くの報道陣が駆けつけたそうです。
陽子さん自身の写真や画像がなく、確認が出来なかったことは残念ですが、当時の新聞には載っていたのでしょう。
ちなみに陽子さんのプロフィールは以下のとおりです。
- 名前:岡田陽子(おかだようこ)
- 生年月日:1958年2月8日
- 年齢:65歳(2023年6月現在)
- 大学:上智大学(外国語学部)
中学、高校、短大とカナダのモントリオール在住 - 就職先:日本ビクター(企画室勤務)
- 特技:フランス語、英語、スペイン語
そして、岡田彰布さんとの馴れ初めは
陽子さんの両親が芦屋出身且つ、阪神タイガースの大ファンで、岡田彰布さんの後援会の集まりの席で顔を合わせたのが最初だったようです。
結婚発表時に岡田彰布さんは、記者からの”出会いとデートはどこで?”の質問に対し
4~5回しか会っていません。彼女の両親の実家が芦屋にあり、そこには行ったけど、街中を歩いたことはありません。
昨年(1981年)秋に知り合う機会があったんですが、顔を合せたのは、今年(1982年))1月8日、
岡田会(後援会)の新年会の席が初めてです。で、新年会が終わってからミナミへ一緒に飲みに行きました。
https://gossip-history.com/g01080/
とのことなので、出会って約2カ月でのスピード婚であることがわかりました。プロポーズの言葉は
との返答だったそうです。出会うべくして出会った、俗にいうビビビってやつですね。
陽子さんは、外国語が堪能につき、日本プロ野球史上最強外国人選手とも言われるランディ・バースさんの奥様とも仲良くしていたようで、陽子さんが通訳し、家族ぐるみのお付き合いをしていたようです。
また最初の監督就任時、前年がリーグ優勝した後の監督として日々忙しい中、夫に付き添い、周囲への配慮を忘れずに行っていたり、
彰布さんが悩んでいる時に、リラックスさせるためにお笑いのDVDをみせたりと内助の功を発揮していたそうです。
そして自宅で監督として愚痴をこぼすこともあるそうですが、
野球で生活をしているわけだから何とか見極めたい、と。
「この選手はレギュラーは無理でも守備に特化した方が長くユニホームを着られる」とか。
選手本人が納得しない部分もあるかもしれませんけど、主人は少しでも長く現役を続けられるように、
選手の良いところをパズルのピースのようにはめてあげたいという気持ちでやっている
デイリー
旦那をみてこのような分析ができている陽子さんがスゴイですよね。彰布さんは見抜かれていますが、ある意味安泰ですね。
息子は一人でお名前は”陽集さん”です。1985年7月15日生まれで、年齢は37歳(2023年6月現在)。阪神タイガースが日本一に輝いた年に産まれたんですね。
簡単なプロフィールは
- 大阪明星中学校
- 大阪明星高校
- 大阪大学基礎工学部システム科学科卒
- スポーツ:ゴルフ部
- 就職先:三菱商事
とのこと、秀才であったかのエピソードは確認できませんでしたが、謙虚な性格で周囲からの評判がすこぶる良かったそうです。
そして、陽集さんは現在結婚して、2人の子供がいらっしゃいます。岡田彰布さんからすれば孫ということになりますね。
2020年の週刊ベースボールのコラム「岡田彰布のそらそうよ」では
(2020)6.19。この日をもって、都道府県への往来自粛が解かれる。ようやく世界が回り始めた……という印象だ。
とういうことでオレもいざ東京である。プロ野球の開幕日、実はこの機会に、私事で申し訳ないが、息子に会うことにしている。
息子は現在、東京暮らしで、サラリーマン。結婚して子どもが2人。そう、オレにとっては孫である。
長い自粛期間で、会えなかった。孫たちがどれだけ成長しているのか、ホンマ、楽しみで仕方ないし、オジイちゃん気分での東京行き、ウキウキしている。
週間ベースボール
雑誌・WEBマガジンのコラムに書いてしまうところがまたかわいいですよね。
岡田彰布の幼少期は南海ホークスのチームにいた?
※岡田彰布さんがかがんでいる場所が当時の大阪球場のホームベースがあったところです。
岡田彰布さんはの実家は大阪市中央区玉造で町工場「大阪紙工所」を経営していたそうですが、父親の岡田勇郎さんは阪神タイガースの有力後援者であった為、
当時の阪神の中心選手だった村山実さん、藤本勝巳さんとも親交があったそうです。
村山実さんの引退試合前のキャッチボール相手が当時中学生であった岡田彰布さんということなので、本当に阪神タイガースに縁のある生活をずっと送っていたということなのでしょう。
選手とかなり近い関係にあった父親も、ドラフト会議で6球団競合の上、阪神が彰布さんを引き当てた時は本当に嬉しかったでしょうね。
小学4年生の時に野球を始めた岡田少年ですが、当時、「南海ホークスの子供の会」に入会していたそうです。
当時が「阪神は当時、子供の会がなかった。それで南海に入ったんよ」とのこと。
岡田さんは大阪球場で試合に出場し、本塁打も放った。
「スタンドが高くて、すり鉢状になっていたから、子供なりにすごく圧迫感があったなあ。球場内にあった五右衛門風呂にも入ったんよ」。
跡地にたたずむと、当時の記憶が鮮明に蘇(よみがえ)ってくる。
産経新聞
小学5年で少年野球チーム「リトルホークス」に入ってから野球に没頭。
土日は大阪球場でホークスのユニホームに着替えてから、堺市中百舌鳥(なかもず)のグラウンドに練習に出かけていたそうです。
現在のなんばパークスの場所に大阪球場はありました。こんな街中のど真ん中に球場があったんだというのが印象です。
まとめ
監督業に復帰した岡田彰布さん。奥様の陽子さんも手記で
主人にとって選手よりも監督という職業の方が天性というか、向いていると思っています。
将棋が好きなように、先の先の先までを考えた選手起用とか。考えることが好きなので。
主人が本当にこだわって真剣になれる瞬間だと思うので頑張ってもらいたいですね。
デイリー
と話しているとおり、監督業は向いていると傍目にも感じます。
このように感じることができる奥様と一緒になれたことが人生で一番良かったことなのかもしれません。
本当に頑張って欲しいものです。今回も最後までお付き合い頂きまして有難うございました。