日大三高の教職員の定年(65歳)に合わせ、日本大学第三高等学校の野球部監督を退任した小倉全由さん。
2023年5月にはTBS系バースディでも特集され、特に高校野球ファンにとっては退任後も名将の影響力は大きいのではないでしょうか。
今回は長年高校生の指導に携わり、多くのプロ野球選出を輩出し、名将と言われた小倉全由さんについて
- 小倉全由(おぐらまさよし)wiki経歴プロフィール!
- 小倉全由(おぐらまさよし)と小倉優子は親戚だった?
を確認していきたいと思います。
小倉全由(おぐらまさよし)wiki経歴プロフィール!
小倉元監督と言えば、高校野球ファンの中では言わずもがなな存在で多くの感動を与える野球を展開してきました。
特に日大三高と言えば、強打で得点力の高いチームを毎年つくってくるイメージがありました。
2023年3月で教職員の定年に合わせて、野球部監督からも退任ということとなり残念ではありますが、名将として私たちの心の中には残り続けることでしょう。
そんな小倉全由さんですが、プロフィールから確認していきたいと思います。
- 名前:小倉全由(おぐらまさよし)
- 生年月日:1957年4月10日
- 年齢:66歳(2023年5月現在)
- 出身:千葉県長生郡
- 高校:日本大学第三高等学校
- 大学:日本大学経済学部卒業
- 職業:教員(社会科)
- 家族構成:妻・娘2人
小倉全由さんは、6歳年上の兄が日大の野球部に所属していてその縁で
と言われたことがきっかけで日大三高に進学しましたが、入学の前年と前年々に春の選抜で2年連続ファイナリストとなるチームで周囲はうまい選手ばかりだったそうです。
結局、3年間公式戦の出場は少なく、最後の3年生の夏も
1975年7月25日、日大三の夏初戦となる東東京大会4回戦・都工業高専戦。
大量リードで巡ってきた代打の打席は、死球で終わった。
試合は3回コールドの15-0で勝利。小倉全由(当時の姓は斉藤)にとって最後の夏、唯一の出場機会だった。
https://number.bunshun.jp/articles/-/854129
ということで、ケガなども相まって選手としては大成しなかったようですね。
その後、日本大学に進学をしますが、選手として野球することなく、母校である日大三高のコーチをしていたそうです。
そして、転機は1981年、東京都内のライバルチームでもあった関東一高の野球部監督のオファーを受諾し、監督業を初めて経験することとなります。
- 1985年:夏の甲子園に甲子園初出場しベスト8
- 1987年:春の甲子園では下手投げの平子浩之投手と三輪隆捕手のバッテリーを擁し準優勝
成績不振を理由に1988年に一旦監督を辞任という形で退きますが、1992年12月に再度、関東一高の野球部監督に復帰します。
そして、1997年に遂に母校の日大三高の監督に就任します。戦績としては、
- 2001年夏の甲子園:日大三高として初の全国制覇(優勝)
甲子園歴代最高記録(当時)となるチーム打率.427を記録することになる強力打線を率い優勝 - 2010年春の甲子園:小倉全由さん自身として2度目の準優勝(1度目は関東一高時代)
- 2011年夏の甲子園:2度目の全国制覇(優勝)
髙山俊、横尾俊建らを擁し、初戦から6試合連続二桁安打、4試合で二桁得点、6ホーマーという強力打線とエース・吉永健太朗の全試合登板で力投
と輝かしい成績を残されました。ちなみに監督としての甲子園での成績は
- 関東一高時代:出場4回=7勝4敗・準優勝1回
(春:出場2回・4勝2敗・準優勝1回/夏:出場2回・3勝2敗) - 日大三高時代:出場18回・30勝16敗・優勝2回・準優勝1回
(春:出場7回・10勝7敗・準優勝1回/夏:出場11回・20勝9敗・優勝2回) - 通算:出場22回・37勝20敗・優勝2回・準優勝2回
こちらは、高校野球の監督で甲子園の勝利数をランキング化したものですが、堂々9番目の勝利数をあげていますね。
データは2020年のものとなりますが、この戦績が名将と言われる所以なのでしょう。
小倉全由(おぐらまさよし)と小倉優子は親戚だった?
小倉全由さんは野球一筋でやってきた方ですが、実はタレントの小倉優子さんとは親戚関係にあるそうです。
とはいえ、血族ではないそうです。元々小倉全由さんは「旧姓:斉藤」なので、結婚を機に、小倉家に入ったという形をとったようですね。
奥さん方で、小倉優子さんは繋がりがあるということなのでしょう。日大三高の野球部が全国制覇した際は、小倉優子さんも祝福のメッセージを送ったそうですよ。
ちなみにプロ野球・西武ライオンズで活躍した”森繁和(もりしげかず)”さんははとこにあたるそうです。同じ千葉県長生郡の出身で同郷ということになります。
まとめ
長きに亘り、高校野球の指導者として育成に従事してきたことは尊敬に値します。
監督業を終わられたばかりだと思いますが、後世に小倉スピリッツを継承していけるようにまだまだ高校野球界には携わってほしいものですね。
今回も最後までお付き合い頂きまして有難うございました。