2022年のプロ野球、球界久々の三冠王(本塁打・打点・打率のすべてが全選手の中でTOP)を狙いにいける位置にいるのが東京ヤクルトスワローズの村上宗隆選手。(2022年9月現在)
そんな村上宗隆選手について
- 村上宗隆のこれまでの経歴は?
- 村上宗隆のスラッガー覚醒のルーツを探る!
について今回お伝えさせていただきます。
村上宗隆のこれまでの経歴は?
5打席連続本塁打(日本記録)、9打席連続安打、14打数連続出塁と2022年首位をひた走るヤクルトスワローズの主砲“村神様”。
これまでの経歴を振り返ってみたいと思います。
プロフィール
- 出身地:熊本県熊本市
- 生年月日:2000年2月2日
- 身長:188㎝
- 体重:97㎏
- 血液型:O型
- 在籍:東京ヤクルトスワローズ(背番号55)、マネジメント/吉本興業
- 兄弟:兄/友幸(24歳)、弟/慶太(17歳) ※2022年9月現在
プロ野球入団前
小学生:熊本市立託麻南小学校、野球/小4で「託麻南小野球クラブ(軟式)」、小6で「熊本東リトルシニア(硬式)」に入団
中学生:熊本市立長嶺中学校、野球/小6から継続で熊本東リトルシニア
高校生:九州学院高等学校、野球/高1時甲子園出場(4番ファースト)、高校通算52本塁打
2017年プロ野球ドラフト会議にて、ヤクルトより外れ1位として指名を受ける
プロ野球入団後
プロ1年目:イースタン・リーグで打率.288、17本塁打、70打点、16盗塁の好成績で優秀選手賞、新人賞、努力賞を受賞。9月に一軍昇格し、初打席で初本塁打を放つ。
プロ2年目:開幕スタメン。5月にはプロ入り初の4番に座る。オールスターゲームに三塁手部門ファン投票1位で選出されホームラン競争にも出場。36本塁打、96打点を記録し新人王。
プロ4年目:プロ野球史上最年少(21歳7か月)で通算100本塁打を達成。
プロ5年目:プロ野球史上最年少(22歳6か月)で通算150本塁打を達成
村上宗隆(ヤクルト)のスラッガー覚醒のルーツを探る!
村上宗隆選手は、男子三兄弟の次男ですが、兄(2つ上)、弟(5つ下)で2022年9月現在、全員野球の現役選手として活躍をしています。
そんな野球愛に溢れる村上家ですが、宗隆選手は、高校時代に過ごした高校生活があり、今に至っていると考えられます。
九州学院高校 野球部前監督/坂井宏安さん
坂井前監督は、入学以前の中学生の村上選手を「中3の時は、ぜんぜんしらんかった」と答えているように全国的に注目されている選手ではなかったのではないかと想像しています。
本当に欲しい選手であれば今時の高校野球の監督は直接対面で口説きにいくという話も聞くので坂井前監督も入学後の活躍に驚いたのではないでしょうか。
「はじめてムネを見たのは、中3の夏。それまではぜんぜん知らんかった。だから、積極的な勧誘はしてないのよ。お父さんと一緒に見学に来てね。
『ウチに来るんやったら、早いところ決めて連絡ばくれんね』と言ったんです。あまり引っ張ってもいいことないからね。
あとで聞いたら、ムネは駐車場でお父さんに『九学でプレーしたいけど、いいかな?』と言ったらしいんです。それはですね、ウチの野球部には授業料免除とかないですし、経済的な負担を心配したんじゃないかね。
お父さんも応援してくれるってことで決まったわけです。でもね、連絡がなかったです。他に行きよるのかなあと思っていたら、九学に決めてますって、第三者から聞きました(笑)」
Number WEBより https://number.bunshun.jp/articles/-/854157
九州学院高校への入学の理由
村上宗隆選手本人は、坂井前監督の「初球から思い切って打てばよい」という言葉が特に響いたのではないかと想像しています。
シンプル且つ、わかりやすい表現が、中学生だった宗隆選手の心を掴んだのかもしれません。
中学生時代、熊本東リトルシニアでキャプテンを務め、勝利主義だけに偏らない、個性を伸ばす野球指導を受けた。
そのあと高校を決めるとき、前監督の坂井宏安氏から言われた「うちではファーストストライクを打てばいい。
理想は27球で終わる野球。相手ピッチャーの肩も消耗しないし、試合時間も短くなる。初球から思い切って打てばいい」の言葉が響いて入学を決めた。
坂井氏は最初の約束どおり、試合では宗隆に一度もバントをさせなかった。
一塁から捕手にコンバートさせ、打者として将来に生かせる配球術、野球脳を身につけさせた。
そういう恩があるから、宗隆は母校に感謝し、坂井氏への連絡を今も続けている。
Number WEBより https://number.bunshun.jp/articles/-/854157
父・公弥さん
宗隆選出の父親が「個性をつぶさない指導に感謝」と坂井前監督の指導を語っているように、
育成で最も大切な高校生という時期によき恩師に出会えたことはめぐりあわせとしては最高だったのではないかと思います。
甲子園出場は高1夏だけで、憧れの高校日本代表に入ることができなかったが「あのとき坂井監督に個性をつぶさない指導をしていただいたお陰で今がある」と公弥さんは感謝する。
Number WEBより https://number.bunshun.jp/articles/-/854157
スラッガーとしての飛躍の原点/坂井前監督の指導
高校1年で甲子園に出場、そして敗戦した代替わりの秋から「一塁者から捕手へのコンバート」は、
その後の成長には欠かせない役割変更だったのではないでしょうか。守備の要である捕手は学んだことはたくさんあったのだと思います。
「捕手として配球を勉強すれば、それが打席にも生きると思ったんです。相手投手の心理を読みながら、狙い球を待つ。ムネは研究熱心だったし、その過程で自分がどう見られているか、客観的に観察する眼も養われたんじゃないかな」
Number WEBより https://number.bunshun.jp/articles/-/854157
「内野ゴロは売ったらいかん。内野フライになってもいいけん」という坂井前監督の指導は、結果を求めたがる選手に安心を与え、進むべき方向を示したのではないでしょうか。
それにしても先々を見据えた指導は素晴らしすぎます。
生来のパワーに加え、捕手としての読みが加わった村上の打撃は、九州学院の3年間で大きく成長した。それは坂井が意識してフライボールヒッターへと育てたからでもあった。坂井は村上にこう指導していた。
「ムネ、内野ゴロを打ったらいかん。そのかわり、内野フライになってもいいけん、球にスピンばかけて、遠くへ飛ばすイメージして打て」
Number WEBより https://number.bunshun.jp/articles/-/854157
生まれ持った恵まれた身体に加え、良き指導者との出会いが現在(2022年9月)の村上選手の大活躍に繋がっていると感じました。この高校時代の指導がなければ今の村上宗隆選手の今はなかったのかもしれません。
まとめ
プロ野球・セントラルリーグにおける多くのタイトル獲得が期待される村上宗隆選手。
近い将来、大谷翔平選手のいるメジャーリーグに渡り、対決するのをぜひみたいものです。
日本では怪物級スラッガーに成長し、手をつけられない状態です。
そんな村上選手を日本の宝として、応援していきましょう!ワールドベースボールクラシックも期待が高まるばかりです。
最後までお付き合い頂きまして有難うございました!