2022年7月に自らが肺がんに侵されていたことを明らかにしていた水木一郎さん。
同年12月病状が悪化し、肺がんの為、お亡くなりになりました。
生涯現役を掲げ、同年11月には第49回歌謡祭にも出演するなど、精力的に活動していたことが印象的です。
そんな水木一郎さんについて
- 水木一郎の若い頃が凛々しい!
- 水木一郎は結婚当初は引退していた?
を確認していきたいと思います。
水木一郎の若い頃が凛々しい!
水木一郎さんは
でした。いつまでも見た目がお若かったですよね。SNSでも
若くしてお亡くなりになったので残念な声が数多く投稿されています。
ここからは水木一郎さんの青春時代(若い頃)についてみてみたいと思います。
水木一郎さんは都内でレコード店を経営する家に生まれ、幼少時代からジャズのレコードを聴いていたそうです。
5歳の時、中学校の夏休みに友達と落語を見に行ったのをきっかけに落語にハマり、
自分で「水中亭源五郎」を名乗って落語を本格的にはじめ、仲間達と慰問グループを作って老人ホームを訪れて披露するなど、活動されていたようです。
プロの落語家に電話をかけて弟子入りを希望したそうですが、その落語家の方に
「高校を卒業してからじゃないと弟子は取れない」と言われ、落語家の道は諦めたそう。
小さい頃から人を楽しませる能力に長けていたようですね。
16歳だった1964年頃から、音楽好きが高じてジャズ喫茶に入り浸るようになり、そこでザ・ドリフターズ2代目リーダーの
桜井輝夫さんと懇意になり、ドリフターズの練習に参加させてもらったのをきっかけに本格的に音楽の道へと入ります。
水木一郎さんはその後、3年の下積み期間を経て、20歳だった1968年にカンツォーネ歌謡「君に捧げる僕の歌」にて、プロの歌手としてのデビューを飾りました。
水木一郎さんは生活の為にナイトクラブやキャバレーで歌う日々を送っていましたが、1度目の歌手デビューから3年経過した
を歌う仕事の依頼を受けます。当時は、アニソンという言葉もなく、全くの新しいジャンルでしたが、
水木一郎さんは「ぜひやらせてください」とそれを引き受けています。
この頃、日本コロムビアが、アニソン専門歌手を売り出したいと考えていた事もあって、
水木一郎さんはこれをきっかけに次々とアニメや特撮の主題歌に起用され、
テレビで流れない日はないほど水木一郎さんの歌を毎日耳にするようになりました。アニソン歌手としてデビュー後、
- 「ぼくらのバロム1」(超人バロム・1)
- 「マジンガーZ」
- 「バビル2世」
- 「侍ジャイアンツ」
- 「おれはグレートマジンガー」(グレートマジンガー)
- 「セタップ!仮面ライダーX」(仮面ライダーX)
- 「がんばれロボコン」
- 「仮面ライダーストロンガーのうた」(仮面ライダーストロンガー)
- 「テッカマンのうた」(宇宙の騎士テッカマン)
- 「鋼鉄ジーグのうた」(鋼鉄ジーグ)
- 「コン・バトラーVのテーマ」(超電磁ロボ コン・バトラーV)
- 「キャプテンハーロック」(宇宙海賊キャプテンハーロック)
- 「ルパン三世 愛のテーマ」(ルパン三世)
- 「燃えろ!仮面ライダー」(仮面ライダー)
- 「夢を勝ちとろう」(プロゴルファー猿)
名作ばかりです。これらすべて水木一郎さんが歌っていたのですね。中でも「マジンガーZ」は70万枚という空前の大ヒットを記録したことは有名ですよね。
アニメ関係の仕事と並行して、
を務めます。2022年現在が第12代目なので、10代前のうたのおにいさんが水木一郎さんということになります。
水木一郎さんは俳優としても活躍し、1986年から1987年にかけて放送された特撮ドラマ「時空戦士スピルバン」に、主人公の城洋介の父親のベン博士役で出演。
この「時空戦士スピルバン」の主題歌とエンディングテーマ、挿入歌は水木一郎さんが歌ったものです。
水木一郎は結婚当初は引退していた?
九条さんのヒット曲は
- 「たそがれの街」
- 「あなたに逢いたい」
- 「すすきのブルース」
- 「マリモの唄」
などです。当時新人歌手だった水木一郎さんは、九条万里子さんのステージの前座をよく務めそれがきっかけで交際に発展したとのこと。アプローチは九条さんからだったそうです。
水木一郎さんは新人歌手、九条万里子さんは実績ある歌手ということで、水木一郎さんは身を引く形で一時歌手業を辞めていたそうです。
アニソンの話が来た際も、水木一郎さんは九条万里子さんに相談してやるかやらないかの判断をしたとのこと。
奥さんの方が仕事では圧倒的に上の立場で物事が進んでいた様子がわかります。
結果的にはアニソン引き受けを許可した九条万里子さんに先見の明があったのかもしれませんね。
まとめ
水木一郎さんは若い頃から本当に凛々しく素敵な男性だったのでしょうね。
74歳の若さでお亡くなりになってしまい残念ではありますが、これまで多くの刺激と感動を与えて下さり有難うございました。
ご冥福をお祈りいたします。最後までお付き合い頂きまして、有難うございました。