アクセルを除く5種類のトリプルジャンプや安定したジャンプの着氷が武器となり「ノーミスの天使」の異名を持つ三原舞依さん。
持病の難病との闘いを続けながらも、グランプリシリーズ初優勝を成し遂げました!
そんな三原舞依さんについて
- 三原舞依は持病の病名は?
- 三原舞依は難病による激やせから復活のGPシリーズ初V!
をお届けしたいと思います。
三原舞依は持病の病名は?
三原舞依さんは2015年の16歳の時に「1万人に1人」の確率で発生する難病を患います。
「('15年の)全日本ジュニア選手権の1週間くらい前に膝が痛くなりました。『怪我かな』と思ってテーピングとかしていました」
痛みをこらえて全日本ジュニア、ジュニアGPファイナルに出場するも、それぞれ8位、6位に終わる。
膝の影響は顕著だった。帰国後、病院で診察を受けると医師は病名を告げた。若年性特発性関節炎だった。
「『1万人に1人の病気です』と聞いて、びっくりしました」
指定難病の一つで、進行すれば関節が破壊され、機能を果たせなくなる。すぐに入院し、治療にあたった。
2年続けて出場していた全日本選手権も出られなかった。再び氷の上に立てるのか、不安がよぎった。
「全日本選手権は病室のテレビで観ていました。『来年、この場所に戻ることはできるのかな』と思いました」
Nunberweb
若年性特発性関節炎(若年性リウマチ)とは
16歳未満に発症した、原因不明の6週間以上持続する慢性の関節炎である。
関節型では関節痛、関節腫脹、関節可動域制限、朝のこわばりなど関節症状が主体であるが、時に発熱など全身症状を伴う。
進行すると関節強直や関節脱臼/亜脱臼などの関節変形を伴い、関節機能障害を残す。
長期の炎症は栄養障害や低身長の原因となる。
難病情報センター
なぜ自分が0.01%の1人になってしまったのだろうと思い、メンタル的にしんどいはずですが、舞依さんは
『(全日本に)絶対に戻りたい』という気持ちが強くなったので、押しつぶされることはなかったです」
「不安は大きかったです。でも『笑顔にしてたら気持ちが晴れるかな』と思ったり、
Nunberweb
と入院中でも前向きな思考で過ごすことができていたようですね。
「(入院中)スケートのテレビを見ることで『もう一度戻りたい』という気持ちが強くなりました。
憧れの真央さんの演技を見ました。あとはこれまでスケートをしてきた中で、嬉しかったことを思い出しました。
昨季はジュニアのGPファイナルに出られたことと、(シニアの)GPファイナルに真央さんが出ていて同じ会場にいることが嬉しかったので、
それを思い出すようにしていました。他にも自分の演技のビデオを見て、スケートを始めた時に比べれば、
跳べるジャンプも増えて演技も良くなって、少しは成長しているんだ、と思うようにしました」
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憧れの浅田真央さんの存在はすごく大きかったようですね。そして前向きな思考を持ち合わせていることは舞依さんの強みですよね。
2016年4月(退院から3か月後)
治療は順調に進み、4月から氷上での練習を再開、'16-'17シーズンの準備にも取り組み始める。
7月には新潟市のスケートクラブの発表会に呼ばれ、新しいプログラムを披露する。
同じ日、新潟県の長岡市ではエフゲニア・メドベデワ、宮原知子ら国内外のトップスケーターが参加し、
「ドリームオンアイス」が行なわれていた。
観客数も少ない、静かな再スタートの日を思い出す表情は、明るかった。
「発表会に呼んでもらえたことがうれしくて。ジャンプも戻っていなかったけれど、スケートをできる喜びがありました」同時にこうも思った。
「スケートをできる喜びが、生きてきた中でいちばん大きくなっていました。滑る楽しさ、幸せが、観ている方に伝わるようにと思って演技しました」
それは三原のシーズンを通じての“芯”となった。
2つのプログラム、特にフリーの『シンデレラ』のスピードと軽快な滑り、晴れやかな笑顔は、観客を魅了し続けた。
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退院後、当初は車いす生活・リハビリを経て復帰しましたが、練習や大会などで思うようにならなかったのでしょう。
それでもスケートができること自体奇跡という考えで幸せを噛みしめながら演技をした姿は感動的でしたね。
2016₋2017シーズン(シニア大会参加初年度)
三原舞依さんは、退院後の翌シーズンで
というシニア初年度且つ、難病発覚後、初シーズンとは思えない成績をおさめました。
優勝した四大陸選手権ではパーソナルベスト200.85点を叩きだす素晴らしい成績での優勝でした。
(当時、国際大会で200点超えは日本人で浅田真央・安藤美姫・宮原知子に次いで4人目の快挙)
三原舞依は難病による激やせから復活のGPシリーズ初V!
2019年夏ごろより、三原舞依さんは持病の悪化による体調不良により、2019₋2020シーズンのすべてを取りやめます。
その時にファンに向けたメッセージをInstagramで披露しました。
舞依さんは本当に残念だったでしょうが、ファンを気遣う温かいメッセージに安心する方も多かったのではないでしょうか。
舞依さんは治療専念後の2020₋2021シーズンに復帰をしますが
↓
本当に別人と見間違うくらい痩せていますよね。たしかに激やせと言われても仕方ない変わりぶりです。
コーチの中野さんによると
状態としては、別に拒食ではなく、体が栄養を吸収しないんだそうです。
みなさんが『痩せた』って心配してくださっているけれど、ちゃんと食べてはいると説明した。
日刊スポーツ
ファンの方も非常に心配したでしょうね。フィギュアスケートは想定以上に体力が必要な競技なので、本人も辛かったでしょう。
グランプリシリーズ優勝(2022₋2023)
2022年11月に行われたグランプリシリーズ/イギリス大会にて、快心の演技を披露し見事優勝を成し遂げます。
ショートプログラム
ショートプログラム終了後の本人コメント
女子SPで72・23点の首位発進。
最後のルッツ-トーループの連続3回転が演技後半の実施(基礎点1・1倍)と認められなかった
「最初の出だしで4つぐらいピアノの音がなくて、途中からスタートになりました。自分の中で『どうしよう…』
と思いながらも演技を続けた。(前後半の境目となる)1分20秒よりちょっと早くて、後半にならなかった。
ただ、それがすごく悔しくて“1人反省会”をしていました」
日刊スポーツ
フリー
フリー終了後の本人コメント
フリー145・20点を記録し、合計217・43点。(見事優勝!!)
「グランプリシリーズで表彰台にも乗ったことがあまりなくて、本当にずっと4位だった。
悔しさがたくさんあった。練習をしている時から『あなたもメダルを取れる。優勝しよう』と中野先生が言ってくれた。
今日の金メダルは人生の中で、今までで一番大きな結果。『信じられない』っていうのが頭の中で大きいです。
今までで一番価値のあるものに、仲間入りした金メダルになるかなと思います」
日刊スポーツ
これまでのすべてをぶつけるかのうような素晴らしい演技でした。
終わった後のガッツポーズ、キスアンドクライでの喜びの表情が印象的でした。優勝おめでとうございます!!
まとめ
グランプリシリーズ初優勝、そしてグランプリファイナル出場への道も拓けてきました。
難病と付き合いながらの選手生活となると思いますが、次のイタリア冬季オリンピックでの雄姿をみてみたいものです。
これからも活躍を期待したいと思います。最後までお付き合い頂きまして有難うございました。