2022年1月にラグビー日本代表の稲垣啓太選手と結婚を発表した新井貴子さん。
パリコレをはじめとするショーへの出演やブランド広告、雑誌への掲載など世界を舞台に活躍中です。
そんな新井貴子さんについて
- 新井貴子の国籍は韓国でハーフ?
- 新井貴子の父親はプロ野球選手で母親がモデル出身は本当?
をお届けしたいと思います。
新井貴子の国籍は韓国でハーフ?
新井貴子(あらいきこ)さんは、国際的なモデル事務所DONNAに所属し、世界的に活動をしていることや父親との関係から
韓国籍なの?ハーフなの?などSNS上などで噂されています。
新井貴子【モデル】の元カレは?国籍は韓国で姉は美人ってマジ?
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稲垣選手と結婚したモデルの新井貴子さんって韓国ハーフって言われてたけど、父親この人だったんだ
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新井貴子さんがなぜ韓国籍やハーフと言われるかというとそれは父親が在日3世であることに起因しています。
父親は新井昌大さんで、1991年39歳の時日本に帰化をし、日本国籍を取得しています。
韓国籍時の名前は“朴鐘律(パク・ジョンリュル)”で日本での通名は“新井鐘律(あらいかねのり)”でした。
新井貴子さんが生まれる前に父親は日本国籍を取得しており、母親も日本人であることから、貴子さんの国籍は日本ということになります。
ただルーツとして韓国の血も入っているので、韓国系日本人という扱いになるのでしょう。
貴子さんの略歴
貴子さんは、中学・高校はバレーボール、大阪体育大学在学中には“アルティメット”という競技に没頭します。
アルティメットとはフライングディスクを使ったアメフトのような競技でかなりの運動量を必要とする競技です。
貴子さんは、2010年チームが「全日本学生アルティメット選手権大会」準優勝に輝くなど第一線で活躍しました。
何かスポーツで優勝をするという経験をしたくてはじめたとのことです。
この時には身長177㎝。細身ですらっとした身体つきで、縦横無尽に動きまわっていたのでしょう。
そして2012年母親の死をきっかけにミス日本への出場を決意します。ミス日本に出場する理由を貴子さんは
母が6年間の癌との闘病生活の末、他界したことが大きなきっかけとなりました。
私は当時、大学生だったのですが、部活を続けるか、はたまた別の何かに挑戦しようか迷うようになりました。
母が亡くなって、部活動はじめ、それまでの毎日と同じことをしても世界が変わったように見えて。
何に対しても力が入らなくなっていた自分を今でも覚えています。
そのときに、姉がミス日本に挑戦し結果を残す姿に勇気をもらいました(長女・新井寿枝さんは2011年ミス日本ミス着物)。
一番大変だった時期にあきらめずに1人で頑張って、さらに受賞した姉の姿を見たときに、うまく言葉にできないのですが、感銘を受けたというかすごく感動して。
それまで私はカメラに撮られることすら苦手で表に立つことは考えられなかったのですが、
母が亡くなって部活動を続けるか悩んでいたときに、せっかく母に産んでもらったのだから、将来に繋がる何かをしてみたらと姉に勧められて出場を決意しました。
ミス日本
お姉さんの後押しもあってのチャレンジだったんですね。
母親の死の辛さを乗り越えてチャレンジした貴子さんの精神力は相当なものだと思います。
そして、ミス日本2012では
見事グランプリを獲得します。受賞時の映像がこちらです。
ー--ミス日本を受賞した瞬間は覚えていますか?
はい。グランプリの前に他の賞が発表されるのですが、「グランプリか何も受賞しないかがいい」と思うくらい1番への思い入れが強かったです。
いざグランプリが発表されるとき、スローモーションがかかっているかのように感じたのを鮮明に覚えています。
後にも先にも、あんな感覚は一度きりでした。
「エントリーナンバー1番、新井貴子さん!!」とアナウンスが流れたとき、頭が真っ白になってしまって。
ミス日本
その後、1年間のミス日本の活動を終え、モデルの道を歩み始めます。
ファッションブランドZARAの2018年夏の広告モデルに起用されたときのものです。アジアンビューティーですよね~。
SNIDELbeautyのモデルとして抜擢された時のものです。
世界的なモデル事務所DONNAに所属し、パリコレはじめ海外のファッションショーで、一流メゾンのランウェイを歩きました。
ZARAやBALMAIN、ミキモト、SNIDEL Beautyなどのキャンペーンモデルを務め、VOGUE JAPAN、ELLE、などに出演。
今をときめく一流モデルへと変貌を遂げています。
新井貴子の父親はプロ野球選手で母親がモデル出身は本当?
父親である新井昌大さんは、日本の元プロ野球選手で首位打者1回、ベストナイン4回、ゴールデングラブ賞1回を獲得し、
シュアなバッティングとセンスある守備に定評があり、現役時代南海ホークス、近鉄バッファローズで活躍しました。
現役通算2038安打を放ち、日本プロ野球名球会会員となっています。
1992年40歳で現役を引退しますが、その後もオリックス・福岡ダイエー(現福岡ソフトバンク)、広島東洋カープなどのコーチを歴任し、
指導者の道を歩み、自らの知見を活かして育成に力を入れました。イチロー選手などはオリックスのコーチの時の教え子にあたります。
母親は、新井裕紀さんで客室乗務員(CA)として働いていた経歴があります。
父親の昌大さんとの馴れ初めまではわかりませんでしたが、綺麗な奥さんですよね。
残念ながら癌を患って、お亡くなりになってしまいましたが、貴子さんが今モデルとしてやっていけるきっかけは母親であることは間違いありませんね。
誕生日にはやっぱり他界した母のことをいつも以上に想う。7年前、私が19の時に亡くなった母が、今の私を見たらどんなに驚くだろうって。
学生時代はスポーツに明け暮れてファッションに興味ゼロ、ベリーショートで男の子みたいな風貌の私しか知らないから、今の姿を見たらびっくりするんだろうなって。
きっと喜んでくれてるよね。大好きなお母さんが居ないのは寂しくて、ふと会いたくてたまらなくなる時もある。
だけど、私の心に残る母の温もりや教えを胸に、これからも夢に向かって進んでいきたい。
Instagram 2017年12月に投稿
いつまでも貴子さんの心の中で母親は生き続けるのでしょうね。本当に素敵な母子ですね。
まとめ
今回は新井貴子さんについてお届けしました。偉大な父親と美しい母親の間に生まれた貴子さんは世界をまたにかけるモデルに成長しました。
そして、2022年には稲垣啓太さんと結婚し、公私ともに充実の時を迎えているのではないでしょうか。
これからも新井貴子さんの活躍を応援していきたいと思います。最後までお付き合い頂きまして有難うございました。