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【死去】鮎川誠の膵臓がん(死因)はいつからでステージは?娘が3人でロック葬の喪主は長女!

ロックバンド「シーナ&ロケッツ」として1970年代「ユー・メイ・ドリーム」などのヒット曲でブレイクし、世間から注目を浴びた鮎川誠さん。

2015年には最愛の妻シーナさんに先立たれながらも意志を継ぎ「シナロケ」活動を続けていましたが、残念ながらお亡くなりになりました。今回は鮎川誠さんについて

  1. 【死去】鮎川誠の膵臓がん(死因)はいつからでステージは?
  2. 鮎川誠は娘が3人でロック葬の喪主は長女!

を確認していきたいと思います。

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目次
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【死去】鮎川誠の膵臓がん(死因)はいつからでステージは?

(全文引用)

鮎川誠のファンの皆様、関係者の皆様へ

1月29日5時47分、鮎川誠が永眠いたしました。膵臓がんでした。

これまで鮎川誠とシーナ&ロケッツを長年に渡って応援し、愛してくださり、本当に有難うございました。

鮎川は1966年の初ステージ以来、現在まで57年間に渡りノンストップでロックンロールを続けてきました。

昨年5月、膵臓癌が発覚。医者から余命5ヶ月程という宣告を受けました。

ですが、みんなに心配をかけたくないという強い希望から一切病気を公表せず、ライブの合間に治療を続けながら全国ツアーを続行しました。

「自分が死ぬまでの間に1本でも多くシーナ&ロケッツのライブをやりたい」と1本1本のライブに全身全霊を注ぎながら行なってきました。

昨年には45周年記念ライブを新宿ロフトで開催し、47都道府県ツアー、沖縄・宮古島でのライブ、

ロンドンナイトのクリスマスなど、重いレスポールを爆音でかき鳴らし、病があるにも関わらず、

いつも熱いステージで昨年のライブ本数はここ数年で最多でした。 昨年末激しい腹痛により一時入院となるも、

この1ヶ月間は医師の治療の下、ライブ復帰を目指して自宅で懸命に家族と回復に努めておりました。

亡くなる直前まで次に出すアルバムの選曲を考えたり音楽制作に没頭しておりました。

最期の瞬間までロックに身を捧げた生涯でした。

鮎川誠、そしてシーナ&ロケッツを愛してくださった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。

心からありがとうございました。

通夜・葬儀は、長年暮らした下北沢で、シーナと同じ『ロック葬』で送りたいと思います。

どうぞ当日は遠い世界に旅立つ鮎川誠に会いに来て最後の別れの言葉をかけてあげてください。

ロケットダクション

Twitter

鮎川誠さんは膵臓がんのステージまでは公表されていませんが、2022年5月段階で余命5か月の宣告であったことを考えると

ステージⅣに限りなく近い状況だったことが想像できます。下記が膵臓がんの5年生存率です。

膵臓がん5年生存率
出典:メディカルノート

膵臓がんは

膵臓は、がんが発生しても症状が出にくく、早期の発見は簡単ではありません。進行してくると腹痛

食欲不振、腹部膨満感(おなかが張る感じ)、 黄疸 おうだん 、腰や背中の痛みなどが起こります

がん情報サービス

膵臓がんは見つかった時にはかなり進行しているケースが多い為、生存率が低くなるそうです。

鮎川誠は娘が3人でロック葬の喪主は長女!

鮎川誠さんは、2015年にお亡くなりになった妻:シーナさんとの間には3人の娘がいます。

シーナさん葬儀時のご家族
出典:スポニチ
2015年シーナさんの葬儀にて
左から三女(知慧子さん)、次女(純子さん)、長女(陽子さん)

鮎川誠さんの娘さんは長女と次女が双子で、三女は7歳離れています。

現在長女の鮎川陽子さんは46歳(双子の次女純子さんも同い年)、三女の知慧子さんが39歳ということになります。

長女陽子さんからのツイートには必死に看病し、病状回復のサポートをしていた様子がわかりますね。

尚、長女陽子さんのツイート投稿の中に誠さんの前にいるお子さんがお孫さんと思われる為、娘3人の内、どなたかは、お子さんがいるということになります

■鮎川誠「ロック葬」 葬儀のご案内~

  • 式場 : 森巌寺 開山堂
  • 住所 : 東京都世田谷区代沢3-27-1
  • 通夜式:2月4日 17:00 ~20:00
    (告別式は、2月5日家族のみにて10:30 より執り行います)
  • 喪主:鮎川陽子(長女)
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小田急線・京王井の頭線 下北沢駅から徒歩10分圏内

世間の反応

以前探偵ナイトスクープで鮎川誠さんが出演されその優しい人柄に感動しました。

依頼者が早くに亡くした父親と鮎川さんがそっくりということでその家族の父親役で出演されました。

本当に亡くなられた父親とそっくりでその方が生前愛用していた浴衣を着て夕食を食べ家族の団らんを再現していました。涙、涙の感動作でした。鮎川誠さんのご冥福をお祈りいたします

自分の好きなミュージシャンが70代や80代になり、訃報を聞く事も増えてきたが、昨日はトム・ヴァーレイン、そして今日は鮎川さん…大好きなギタリストが立て続けに亡くなって流石にショックが大きい。

ガガガッと掻き鳴らした時のギターの音の格好良さを知っている人だった。だから鮎川さんのギターは、最初の一音から格好良かった。

あと、どうしても「ユー・メイ・ドリーム」とか「レモンティー」ばかりが語られるが、最近の音楽だってメチャクチャ格好良い!是非とも聴いてもらいたい。

1979年中3、1980年4月から高校生だった小生にとっては、音楽シーンで大きな変革の始まりでもあった。シーナ&ザ・ロケッツもそんなバンドのひとつだった。

アルファレコードだったことから、3rdアルバム「真空パック」は細野晴臣プロデュースで、YMOメンバーが曲提供やサウンドプロデュースを行った。彼ら本来のロックというより、ポップな仕上がりだった。

当時はそういった音が流行りだったわけで、それはそれで良い。近年、リアルタイムで聴いていたミュージシャンが逝ってしまう…仕方のない事でもあり、自分の老いを感じる昨今でもある。合掌。

*ヤフコメより

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まとめ

また惜しいミュージシャンを亡くしてしまうことになってしまいました。本当に残念でなりません。

心からご冥福をお祈り致します。今回も最後までお付き合い頂きまして有難うございました。

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